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長唄三味線Nagauta Shamisen

長唄の誕生

長唄の起源は江戸時代。
元禄年間(1688〜1703)に上方(京・大阪)の地歌(盲人音楽家が演奏する三味線音楽)から派生した。これが上方の芝居唄となり、やがて上方歌舞伎の江戸進出に伴って江戸に伝来し、江戸歌舞伎の芝居唄になり、江戸長唄として定着した。
その後も江戸長唄はほとんど歌舞伎の音楽(主に舞踊の伴奏)として発達した。一方、上方の芝居唄は元禄期を頂点としてその後は歌舞伎音楽としては伝承されず、地歌の一分野である端歌(はうた)に吸収された。現在、一般に長唄と言えば江戸長唄を指す。

長唄の歴史概要

初期の長唄には上方風の影響が色濃く残り、優艶な曲が多い。
(『娘道成寺』『鷺娘』など)
やがて上方風からの脱却が徐々に進んで長唄は江戸趣味に染まってゆき、明和〜安永〜天明期 (1764~89)には江戸長唄の独自の個性が確立され、文化・文政期 (1804~30) には江戸長唄の全盛期を迎えた。

天保~慶応期(1830~68)も長唄全盛期は続く。
歌舞伎を離れた鑑賞用の長唄(お座敷長唄)
『秋色種』『四季の山姥』
復古的に謡曲に題材を求めた長唄
『勧進帳』『鶴亀』『紀州道成寺』などが作曲された。
この時期までに、唄方、三味線方、鳴り物、それぞれに名人と称される人材が数多く輩出し、現在に至る各流派の祖となった。

明治前期(1868~96)には
唄方三傑 五世芳村伊三郎・五世芳村伊十郎・二世松島庄五郎
三味線方三傑 三世杵屋勘五郎・二世杵屋勝三郎・三世杵屋正次郎 らが活躍
『綱館』『望月』『船弁慶』『正治郎連獅子』『元禄花見踊』 などの傑作が誕生した。

明治35年(1902)
四世吉住小三郎(のち慈恭)と三世杵屋六四郎(のち二世稀音家浄観)は、長唄を歌舞伎から独立させて鑑賞用音楽として成立させるという新たな試みに着手し、「長唄研精会」を創設した。
これに刺激されて、大正時代には長唄の演奏会が頻繁に催されるようになり、長唄は広く一般家庭にも普及、浸透した。

大正14年(1925)には長唄協会が結成され、長唄界の向上発展のために貢献した。

明治後期から大正・昭和期の長唄界にも多士済々の名人が数多く登場、長唄の黄金時代を再現させた。
『楠公』『五条橋』『新曲浦島』『多摩川』『鳥羽の恋塚』『紀文大尽』『お七吉三』などの曲が生まれた。

長唄の分類

1.めりやす
歌舞伎の舞台で、俳優の色模様、髪すき、愁嘆などの演技に合せて、その抒情的な効果をあげるために黒御簾の中で独吟で演奏される短い長唄曲。
例…『黒髪』『明の鐘』『五大力』

2.所作唄
長唄本来の形態である舞踊伴奏用の曲で、現存する古典曲の過半数はこの分類に入る。舞踊の約束に従って一定の型がある。
(次第または置唄・出・語りまたは口説き・踊り地・ちらし・段切)

3.浄瑠璃風長唄
発生当時からの純唄いもの式の長唄でなく、語りもの風の筋と内容を持ち、長唄本来の叙情の域から叙事の域に進んだもの。
例…『安宅の松』『靭猿』

4.お座敷長唄
芝居や舞踊を離れて歌謡本位に作られた曲。曲の構成は自由。
例…『吾妻八景』『秋の色種』

5.大薩摩もの
大薩摩は江戸浄瑠璃の外記節の一門から出た語りものであったが、長唄の三味線方と連携しているうちに長唄と同化合流したもので、唄・三味線ともに豪壮雄大な感じを持つものである。
例…『綱館の段』『鞍馬山』

6.謡曲物
謡曲は古く足利時代から武士階級の音楽として伝わってきたもので、長唄に対する影響は上方唄に次ぐ重要性を持っている。
例…『船弁慶』『橋弁慶』『竹生島』

7.新作長唄
明治末期以降の作品で、上記6種のいずれの型にもとらわれず自由な様式で作られたもの。
例…『紀文大尽』『夜の雨』『玉菊』『寒山拾得』『お七吉三』

長唄の特徴

1.多様性に富んだ領域の広い歌曲である
長唄はその発展過程において、謡曲、狂言、地歌、各種浄瑠璃、流行唄、民謡などの技法、曲節、あるいは題材を取り入れた、文字どおり日本の伝統音楽を集大成した三味線(細棹)音楽である。

2.多様な演奏法をもつ歌曲である
長唄の演奏は二挺一枚(三味線方2名、唄方1名)の独吟を最小単位とし、数十挺数十枚で演奏することも可能であり、また、めりやす、独吟物、あるいは鑑賞用長唄(お座敷長唄)の一部を除き、管楽器(能管、竹笛)、打楽器(大鼓、小鼓、太鼓)も加えられ、さらに浄瑠璃(義太夫節、清元節、常磐津節)との掛合も行うなど、演奏法が多様である。

3.曲風が上品である
長唄の名曲の大半が作られた時代の世相に於いては、遊郭吉原が格別の社交・遊興の場であった。当時の三味線音楽に相当の廓気分が織り込まれているのもやむを得ないことであるが、長唄はその中でも一定の品位を保っており、極端な喜怒哀楽の表現も少ない。これは特に明治以降に洗練を重ねてきた結果である。したがって、長唄は、健全な家庭音楽としても、また、素人の演奏曲としても、抵抗なく受け入れられている。

※次の文献を参照、一部引用させていただきました。
星 旭・著『日本音楽の歴史と鑑賞』
浅川 玉兎・著『長唄の基礎研究』


終わりに

戦後から現在、長唄界は大きく変貌を遂げました。
日本社会の変化の荒波に揉まれてさまざまな日本の伝統文化が苦境に直面する中で、長唄界は日本伝統音楽の代表たる矜持を守り続けています。
関係各方面各位の尽力の賜ですが、未来はまだ不透明です。
私たちはこれからも日本の伝統音楽・長唄を栄えさせていかなければなりません。
伝統とは、古典をそのまま保存することではありません。
古典を基礎に現代を生きて未来に受け継がれるもの、それが伝統です。
長唄が生まれてから三百有余年、多くの先人達の大きな遺産に感謝しつつ、
「この遺産をさらに価値あるものにする」との気概を持って、日々研鑽に努めましょう。